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月別アーカイブ: 2024年6月

新千歳空港耐震補強工事での休日

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北海道を発着する優雅な船旅! そんな夢をリーズナブルなお値段で叶えるのが、京都・舞鶴~北海道・小樽間を結ぶ新日本海フェリー「あかしあ」と「はまなす」。

北海道行は23:50発~翌日20:45着、関西行は23:30発~翌日21:15着の約21時間の航路です。お値段なんと11,100円~乗船できるのです

竹原火力発電所 機材据え付け工事

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火力、原子力発電所、一般産業プラントの電気、計装、設計工事並びに保修
○大型変圧器、配電盤開閉装置の一部設計、製作、組立、据付工事

西日本豪雨ボランティア活動

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2018年(平成30年)6月28日から7月8日頃にかけて、前線と台風7号の影響を受け、西日本を中心に広範囲で長期間にわたる記録的な大雨となった。期間降水量は多いところで1,800mmを超えたところもあった。

特に、7月6日から8日にかけては、九州・四国・中国・近畿・東海地方の11府県に大雨特別警報が発表され、各地で同時多発的に河川氾濫による浸水や土砂崩れなどが発生した。住家被害は、損壊・浸水家屋を合わせて50,000棟近くに達するなど広域で甚大となったほか、死者・行方不明者は245人にのぼり、平成以降の風水害としては最悪の人的被害となった。また、道路崩壊などによる集落の孤立、停電や断水などライフラインの寸断なども発生し、生活にも多大な影響が生じた。特に、岡山県、広島県、愛媛県の被害が大きかった。

このうち、51人が死亡した岡山県倉敷市真備町の小田川流域では、ハザードマップに図示されていた洪水浸水想定区域と実際の浸水範囲がほぼ一致していた。さらに、洪水予報や避難指示(緊急)などの情報が発信されていたものの、実際の避難行動に結びつかなかったことも多く、翌2019年(平成31年)3月に内閣府による「避難勧告等に関するガイドライン」が改定され、「自らの命は自らが守る」意識を持って自らの判断で避難行動をとるという方針が示されたほか、自治体や気象庁の発表する防災情報に対する警戒レベルの付与が始まった。

岡山下ノ町ポンプ場 耐震補強工事

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岡山倉敷市下水施設課は、

下の町ポンプ場の耐震補強などを計画しており、2017年

一部工事発注を行う。

下の町ポンプ場(児島下の町10丁目)は、1965年に運転を開始した鉄筋コンクリート造地下1階地上平屋の延べ142平方㍍。

JFEスチール西日本製鉄所福山地区

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*JFEスチール西日本製鉄所*(ジェイエフイースチールにしにほんせいてつしょ)は、広島県
福山市
鋼管町

1番地および岡山県 倉敷市
水島川崎通
1丁目にある
JFEスチール

銑鋼一貫製鉄所

。日本鋼管

と川崎製鉄
の合併に伴い発足した。福山地区と倉敷地区に分かれており、管理業務事務所は福山地区に所在する。

美浜原子力発電所 耐震補強工事

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*美浜発電所*は、福井県
三方郡 美浜町

丹生に所在する関西電力

原子力事業本部の原子力発電所

。1号機及び2号機は廃炉作業中。3号機は40年超え原発として福島事故後の新規制基準のもとで全国ではじめて再稼働した。出力82.6万kW。(1~3号機の合計出力は166.6万kWであった。)

美浜原子力発電所耐震補強工事 休日

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虹岳島荘へ向かう一本道に並ぶ集落は、日本の里100選に選ばれており、素朴で懐かしい風景が残っています。
虹岳島周辺は、若狭湾国定公園に指定され、三方五湖は、水鳥の生息地として国際的に重要な湿地とされ、ラムサール条約にも登録されており、豊な自然と貴重な動植物が大切に守られています。

冬には、数多くの水鳥(渡り鳥)が羽根を休めにやって来ます。
そんな水鳥の姿や田舎の里山風景は、写真愛好家の方達の絶好の被写体となっています。

岩国基地航空祭-航空ショー

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岩国基地は海上自衛隊と米海兵隊が共有しています。以前は別々で航空祭を開催していましたが、2015年から共同開催となり、米軍機ならではの航空機や激しいデモフライトが見れるのが魅力です。
基地内ではアメリカの雰囲気を感じられ、ボリューム満点のハンバーガーやピザなどの飲食店が並び、音楽イベントやアメリカ海兵隊との触れ合いなど、日米共催のフレンドシップデーならではの航空祭をお楽しみいただけます。

JFEスチール西日本製鉄所倉敷地区

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一清掃-二作業-三3S現場
整理-整頓-清絜に事故トラブルなし!!

安全祈願-三原神明市

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神明祭」とは、伊勢神宮を祀る祭りのことをいいます。
この信仰が全国に広まったのは、室町末期で、三原もその頃、この地方の港町として栄えつつあり、当時、九つの町組が寄り合って始めたのが祭りの起こりと言われております。毎年2月の第2日曜日を含む前3日間、東町、館町、本町一帯で行われる神明祭りは、往時には旧暦1月14日に、とんどをまき、神棚を飾り、伊勢神宮の弊を観請し、あちらこちらの店先に翁人形やだるまを飾りつけ、東町、館町一帯に数百の露店が立って、身動きできない程の人出で賑わいました。
三原城を築いた小早川隆景は、この祭りを大切なものとし、瓶子一対を寄進し、近郷より繰り出す景気人出の模様を見て、その年の豊凶を考量されたと言われています。
備後地域の春祭りのさきがけとして、その遺風は現在まで受け継がれています。